水鏡

KuritaKeiichi2006-07-04

一ヶ月ほど前、内田ユキオさんの写真エッセイ「いつもカメラが」が発売になりました。発売日に買ってすぐに読んでしまったのですけれど、2年前に「ライカとモノクロの日々」を読んだ時ほどのトキメキも余韻も感じることはできませんでした。この2年間に、いろいろなメディアを通じて、内田さんの文と写真を頻繁に目にしてきたから、そのために新鮮さがなくなったら、トキメカなかったのでしょうか。内田さんのブログにコメントを付けているシンパの方々は、バイブルがもうひとつ増えたかのような反応をしているのに。
私にとっても「ライカとモノクロの日々」はちょっと特別な存在になっていて、それを読み返すと、2年前にモノクロ現像を始めたときの高揚感もいっしょによみがえってきます。「ライカとモノクロの日々」に初めて出会ったのが今ならば、恐らくあのトキメキを感じることは無かったでしょう。
「いつもカメラが」がいまひとつなのは、きっと今はそれを必要としている時では無いだけのことなのかもしれません。


天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、
石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
(伝道者の書 3章1節から8節)


皇居 2004/7/16
Minolta α-SweetIIL + AF 50mm/F1.7
Kodak HC100@100